1924(大正13)年12月 ハワイ島プナ 藤間順平 提供
親戚のビュイック車に乗る提供者。 1918(大正7)年に19歳で両親、兄弟と共にハワイへ移民した提供者は、日本語学校の教師を務めていた。太平洋戦争中は日本語学校を続けることができず、農業で生計を立てなければならない時期もあったが、長年にわたり教師を続け、プナ本願寺顧問やハワイ島日本人コミュニティー協会理事なども務めた。