森川クラブの広告

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田中乙吉と森川与十郎の共同経営でピエドラス街873番にあった。宿泊に加えて、家庭奉公、植木職、カフェ店、鉄工場、内地農牧場就職を斡旋していた。ここは就職斡旋のほうが中心だったようである。1921年には熊本県出身の松田清市の経営になっている。1922年には「だるま亭」の名前で広告が出ていて、日本料理を出していた。だるま亭はのちにチャカブコ街770番に移転した。