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経営者や名前は何度か替わったが、1917年からこの場所に宿屋があった。日本人たちは「パトリシオスの19番」と呼びならわしていた。最初の経営者は鹿児島県出身の山元栄治で「南米倶楽部」という名前だった。下宿業に加えて、料理屋、ビリヤード、日本語書籍の貸出しもしていた。山元は船乗りで1912年にアルゼンチンに上陸した。そのためか、日本人の船員もよく来ていたようである。また仕事斡旋人が出入りしていて工場労働や庭園師などの仕事を見つけることができた。