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ブエノスアイレス週報の1919年新年号に掲載されたゴウリンスキ工場の広告。同工場は船舶修理などを請負う会社で、他の工場と同様、日本人雇用に関心を示していた。笠戸丸移民で1909年に転住してきた鹿児島県出身の有水藤太郎は、カンカン虫といわれるこの仕事をはじめ、多くの日本人に職を斡旋した。