バセーナ製鉄工場に勤めた日本人女性たち

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1870年に創立された製鉄工場で、コチャバンバ街3001番から3099番あたりにあった。またバラッカス地区のペピリ街とアルコルタ街のかどに作業倉庫をもっていた。1918年に昇降機操作係として就職した本田伊吉によると、この頃、男女あわせて60人から70人ほどの日本人が働いていたというが、1919年のブエノス・アイレス週報に載っている広告には「男女300人の日本人が働いています」「日本人男性及び女性雇い入れます」と記されている。この工場は「悲劇の一週間」と呼ばれる労働紛争の舞台となった。