広島市所蔵
「ワタコンティナー(ウォーター・コンテナの意)」と呼ばれていた。サトウキビ畑の労働者のための飲料水を、「ワタボーイ(ウォーター・ボーイの意)」と呼ばれる係が畑のほとりのタンクからこの缶に汲んで、それぞれの水筒に配った。 飲料水の携行には、当初はガラス瓶が使用されたが、1899(明治32)年に移民した広島県出身の一世・倉田順造がブリキ屋をはじめ、水用の缶を製造した。