宮崎県に疎開

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戦時中、宮崎県妻町に疎開した稲嶺ビクトル(右より3人目)が下宿した家の前で、その家族と。戦況が危うくなると、農村に疎開を強いられたが、とくに沖縄の学童たちがそうだった。稲嶺は、母を亡くした後、送り込まれたが、戦後の1951年に父の呼び寄せで帰国した。