峰松秀次の墓

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28歳でコスキンで死没した峰松秀次の墓(写真は水溜侃の提供)。「私が1932年2月2日、救済所に外部からの第一号として入団したが、一ヵ月足らずで、西岡・淵野二人は相次いで、あの世へ消えた。私と峰松君だけが残った」と大城吉義が語っている。峰松は1940年に亡くなり、大城は回復してコルドバ州で邦人リーダーとして活躍した。