肺病関連サナトリウムの広告

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1901年10月8日号のカラス・イ・カレータス誌に掲載されたコスキンにあったサンタ・マリア・サナトリウムの広告。下宿代食事つきで一日に7~15ペソとあるが、1910年に国立病院になった。当時、結核はアルゼンチンの第一の死亡原因で、多くの日本人も冒された。その治療は空気がきれいで乾燥したコルドバ州の高原地帯での転地療養だった。