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コルドバで養蜂をしていた頃の田村一恵。1941年に独立するまで果樹専門技術者として星農場を発展させたが、「パパは経済的にはいつも恵まれず、理想主義者だった。私たちを通してアルゼンチン人は日本を見るから良くしないといけない、と教えてくれた。そのためには日本語ができないといけない、と言っていました」と子供たちは想いおこす。