エスコバールの花卉園芸組合

21/25

  

エスコバール花卉園芸組合員。ボンバーチャ(農民などのはく裾を絞った太目のズボン)姿の人たちも見える。1929年、賀集九平は邦人花卉栽培者が飛躍すべき場所としてエスコバールを挙げ、そこに進出した。ほぼ同時に、久木末次郎もエスコバールでアルゼンチン人の出資のもとに花卉園を開始した。二人を先駆者にして日本人が集まり、エスコバールを花の都といわれるまでに発展させた。