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1919年初めに来亜した茨城県出身の高倉謙は、家庭奉公をしてから裁判官のお抱え運転手になった(宮地ルミ氏提供)。「家庭奉公は一年半くらいしましたね。だいぶ言葉も分かるようになりました。でもこんな仕事は長くやれません。せいぜい三、四ヵ月くらいがいいとこで、すぐ替りたいんです。当時「家庭奉公やります」と出したら、むこうから迎えに来てくれるほど、仕事はたくさんあったんです」と後年の高倉が語っている。