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三重県出身の服部定雄も1915年に同じ経験をしたが、「ちゃんと切符を売ってくれ、出発になっても何ひとつ言われもしなかったので、まさか途中でストップを食らって、ほうり出されるとは思ってもみなかった。汽車に乗った時は、このまま座っていれば無事メンドーサに着くと信じていた。ロス・アンデスまで来たところで駅員がやって来た。この先、雪で不通、開通の見込みは不明と聞かされ愕然とした」。