航海中の明治の青年

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航海中,ある港で着物姿の鳥海忠次郎(左)と榛葉贇雄(国立資料保存館)。榛葉はその後,日系社会で大活躍し,両国の文化交流に貢献するが,横浜市出身の鳥海忠次郎について伝える資料はほとんどない。「鳥海は当地到着以来,暫くは士官の召使いのようなことをしていたが,先月以来海軍の医大監某氏の世話でアルゼンチン海軍の薬剤士官見習いとなり,毎月64円の手当を受けているとのことで,着ている服も極めて立派にしていた。日本語よりスペイン語の方が達者になり,身体も至極健康とのことである。」(明治35年11月5日付の在亜国弁理公使・大越成徳の報告書より要約)