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移民は当初から、自らが関心のあるニュースを広めるための独創的な手法を生み出してきました。最初は関氏が発行した手書きの文書で、日本人移民の経営する理髪店で読まれるようになり、その後、各家庭でも読まれるようになりました。最終的には、リマの日本人社会のほぼ全体で、子どもの誕生、物故者、日本人社会にとって関心のあるニュースなどが知れ渡るようになりました。
1910年には『而立』(じりつ)というタイトルの冊子が出版・配布されるようになりました。これは野田良治外務省通訳官(当時)が編集した、謄写版印刷による小冊子で、分量は60ページ。ニュース全般、各種団体からのお知らせ、投稿などが掲載されました。
1913年には日本語による最初の新聞『アンデス時報』が発行され、1920年6月には『日秘新報』が、1928年には『ペルー日日新聞』が設立されました。1929年、これら3紙が統合されて『リマ日報』となり、その後に発刊された『秘露時報』と共に、第二次世界大戦開始時まで発行が続けられました。