横瀬五郎

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リマ日本人学校創立計画の手始めとして、日本の外務省に、これから設立する学校で働く教師2名の派遣を要請しました。多くの候補者の中から初代校長として、横瀬五郎(当時24歳)が、そしてその妻春子(当時21歳)が教師として選ばれました。
契約期間は5年間で、校長は月給100ソル、教師は60ソルでした。これに加えて1,000ソルが旅費として支給されました。横瀬夫妻は横浜港から安洋丸に乗り、50日の船旅の末、1920年5月15日、カヤオ港に到着しました。